「カレル・チャペックは 戯曲「白い病気」で何を語りたかったのでしょうか?」日本チェコ交流100周年記念講演会 そのⅡ 栗栖茜先生講演会

演題「カレル・チャペックは 戯曲「白い病気」で何を語りたかったのでしょうか?」 これまで多くのチャペックの作品の翻訳を出版してこられた医師であり著述家翻訳者である栗栖茜先生に 伝染病を題材とした
カレル・チャペックの戯曲 “Bílá nemoc”「白い病気」についてお話いただきました。

日時:
 2020年11月26日(木) 19:30-20:30 Zoomシステムで行います。スマートフォンでも参加可能。
会費:
 無料
お申込み宛先czfriend@outlook.jp 先着100名様まで

本講演は終了しました。

講演会での質疑 (高橋恒一まとめ)

Q: チャペックが「白い病気」で語りたかったのは、端的に言えばパンデミックのような強烈な衝撃は、愛国的な群衆と独裁的な指導者を生み、国家を戦争へと駆り立てるということか?

A; そうだと思う。例えば日本の具体的な例としては、パンデミックではないが、1923年の関東大震災が日本の軍国主義化のトリガーとなったことが挙げられる。

Q; チャペックの作品で翻訳しにくい単語や文学的表現があれば教えて欲しい。

A; 難しい質問。一般的に言ってチャペックは、言葉遣いに厳密で、学術用語や専門用語もよく調べ正確に使っているので、訳もそうなるよう努めている。

Q; 「白い病気」は1930年代末に映画化されたが、原作と異なり、元帥が戦争停止命令を出すシーンで終わっていた。この映画の結末は、甘すぎると思うがどうか?

A: その映画は観ていないが、同感。ついでに言えば「ロボット」の第3幕は無かった方がよかったような気がする。

Q; 「白い病気」は出版当時、社会でどのように受け止められたのか?

A; 出版後、上演されかなり好評だったが、チェコスロヴァキアはすぐにナチスドイツに併合されてしまった。

Q; 自分は戦争を止めない限り指導者と金持ちには薬を投与しないというガレーンの行為に共感するが、医師である先生のご意見は?

A; 建前としては、すべての人を診るべきであろう。しかしながらドイツでもアメリカでも金のある人の方が良い医療を受けられるというのが現実である。

Q: パンデミックや大災害の時に全体主義的な傾向が強まるのは、民衆が分かり易く決断力があるように見える指導者を求めてしまうからではないか?

A: そう思う。民主主義の主役は民衆であるが、民衆は往々にして指導者の美味しい言葉に幻惑され従ってしまうこわい存在でもある。1937年のチャペックはこのことを書かざるを得なかった。

Q: チャン氏病は実在する病気か? A: 完全なフィクションである。  

「カレル・チャペックは 戯曲「白い病気」で何を語りたかったのでしょうか?」日本チェコ交流100周年記念講演会 そのⅡ 栗栖茜先生講演会” に対して1件のコメントがあります。

  1. 髙橋恒一 より:

    栗栖先生の講演を聴いて       会長 髙橋恒一
                                        

    戯曲「白い病気」が発表されたのは、1937年である。前年の36年にはナチス・ドイツがチェコスロヴァキアに対し武力行使の威嚇の下でズデーテン地方の併合を要求した。同要求は、38年9月のミュンヘン協定により認められ、39年12月には第二次世界大戦が勃発した。チャペックは、かかる緊迫した国際情勢の中で、名指しを避けつつも独裁国家にパンデミックのような強烈な衝撃が加わった時、その社会にどのような変動がもたされるかを、彼流の強烈な味付けをした上で、読者と観客に問いかけたのではないだろうか。欧州の歴史においては、ペスト、天然痘、コレラ等のパンデミックが何度も発生したが、中でも14世紀に地中海から欧州に広まったペストは、人口の半分近くが犠牲になり、患者の皮膚が内出血で黒ずむため「黒い病気」として恐れられた。チャペックは、それをちょっともじってパロデイ化し、「白い病気」を題名にしたものと思われる。
    50歳以上の高齢者しか罹らない死に至る感染症の白い病気が蔓延し始めたところからドラマは始まる。町医者のガレーンが大病院院長のシゲリウスを訪問し、自らが発明した特効薬の「治験」を申し入れ、シゲリウスはこれを受け入れる。薬は明らかに効果があったが、ガレーンはその薬の化学式を誰にも明かそうとしない。薬の効き目を伝え聞いた元帥が大病院を視察に訪れる。その取材に来ていた新聞記者たちを前にガレーンは、「支配者たちが戦争を止めなければ彼らには特効薬を使わない。使うのは貧しい人達だけにする」と宣言する。こうして白い病気にかかった武器会社クリューク・コンツエルンの会長、元帥及びクリューク・コンツエルンの部長に出世した「お父さん」の連れ合いの「お母さん」は皆特効薬の投与を拒否される。50歳以上の人々が次々と死んでいく中で、社会は大混乱に陥り、同じアパートに住む白い病気にかかったおばあさんに食事を届けようとする「お母さん」をにべもなく押しとどめる「お父さん」の行為に見られる社会的連帯の崩壊が起こり、「人はいつかは若い者に席を譲らなければならないのよ」という「お父さん」の娘の主張が象徴する世代間の利害対立が顕在化していく。1937年当時、世代間の利害対立は、現在ほど先鋭化していなかったと考えられるが、チャペックは、鋭くこの問題にも迫っており、流石である。

    たった一人で自分が発明した薬を武器に戦争を止めようとしたガレーンの試みは、誰からも支持されず、上手くいかない。結局、彼は官憲ではなく、戦争を熱狂的に支持する群衆により踏み殺されてしまう。ガレーンには孤独なテロリストの香りがする。全体主義・独裁主義の下では、大衆は権力とともに権力に逆らうもの、抗う者を抹殺するものへと容易に変わってしまう。これが好戦的な風潮が強まる中で左右両派から批判されていたヒューマニズムと民主主義の信奉者チャペックの警告、メッセージだったのではないだろうか。

    チャペックはしばしばペシミストと言われた。それが理由ではないとは思うが、いくつかの作品で絶望的な結末に若干の希望を持たせている。例えば「ロボット」ではアルキストを生かし、ロボット同士に恋を芽生えさせ、「虫の生活より」ではホームレスが生き返るヴァージョンも作り、「サンショウウオ戦争」では山頂近くまで追い詰められた人類が内輪もめでサンショウウオが全滅した後、少しずつ山から降りてくるとしている。これに対し「白い病気」にはこうした希望が書かれていない。チャペックは優れた科学者のように論理的に思考を深め、社会や人間を見ており、そこから誰よりも未来がはっきりと見えていたのではないか。1938年に亡くなったチャペックは、世界が絶望的状況に向かうことを予言したのかもしれない。しかし彼はそこに遊び、冗談、表現の美しさを練りこんで一層素晴らしい「チャペック・ワールド」に仕立て挙げているような気がする。

    チャペックはSF作家という見方があるが、自分は彼の作品は科学的空想に基づいたフィクションであるSF小説の枠に収めるには、鋭いとげが多すぎると考える。私には時代がチャペックを追いかけようやくその後ろ姿が見えてきたところであり、チャペックの作品は、下手な哲学書よりもはるかに示唆に富んでいるように思える。

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