阿部賢一先生講演会「現代チェコ文学入門」第二弾【ヴァーツラフハヴェルの戯曲世界】2022年2月24日オンラインで実施しました。 

チェコを中心とする中欧文化研究の第一人者、阿部賢一先生による「現代チェコ文学入門」第二回を下記日程でオンラインにて開催しました。

ご参加ありがとうございました。講演の概要は高橋会長がコメント欄に記しています。

  日時: 2022年2月24日(木) 午後7時半から8時半 

 講師: 阿部賢一先生 東京大学准教授

演題: ヴァーツラフ・ハヴェルの戯曲世界

・概要:1989年12月、ビロード革命後のチェコスロヴァキアで、一夜にして大統領になったヴァーツラフ・ハヴェル。社会主義の時代には『力なき者たちの力』など政治的エッセイを発表し、反体制派の知識人として活躍したことよく知られています。その一方、彼の戯曲が十分に知られているは言えません。没後十周年を迎えたこの機会に、主要な作品を紹介しながら、ハヴェルの戯曲世界の魅力を探求していきたいと思います。

開催方法: Zoomシステムによるオンライン講演会(スマートフォンでも参加可能)

  会費: 会員無料 非会員1000円

  お申込み: emailでの登録をお願いします。お申込みいただいた方に当日のURLを送付します。 

  先着100名で締め切ります。 申込先 czfriend@outlook.jp

申し込みは終了しました。

      

阿部賢一先生講演会「現代チェコ文学入門」第二弾【ヴァーツラフハヴェルの戯曲世界】2022年2月24日オンラインで実施しました。 ” に対して1件のコメントがあります。

  1. 理事会 より:

    阿部賢一先生の講演「ヴァ―ツラフ・ハヴェルの演劇世界を聴いて 
                                   髙橋恒一

    24日に阿部先生が「現代チェコ文学入門」の第2回として「ヴァーツラフ・ハヴェルの演劇世界」と題したオンラインの講演をしてくださいました。35名の皆様に参加いただいた今回の講演では、ハヴェルの1960年代と70年代の代表作である「通達」と「謁見」を中心に富豪だった彼の祖父がプラハの中心部に建設した総合文化施設ルツェルナや彼の演劇が上演された劇場、更には実際の公演の舞台等についての映像データをふんだんに用いて、彼の演劇につ
    いての考え方とその特徴を分かり易く解説して頂き、とても参考になりました。素晴らしい講演をしていただいた阿部先生に改めて深謝申し上げ以下に概要を報告します。

    ヴァーツラフ・ハヴェルは、20世紀から21世紀にかけて戯曲家、ディシデント(反体制派)、政治家の3つの顔が交錯した波乱万丈の人生を送った。元々は演劇よりも映画に関心があったが、その望みはかなわず、1959年に父親の紹介によりABC劇場(ルツェルナの近くにある小劇場)で裏方として働き始める。そこで喜劇俳優のヤン・ヴェリフとの運命的な出会いがあり、演劇に目覚め、演劇が現実の社会に大きなインパクトを与えうるものであることを知り、演劇の道に進むことを決める。1960年に欄干劇場(カレル橋近くの小劇場)に移る。
    裏方で働きながら、戯曲を書き始め、「ガーデン・パーテイ」(1963年)、「通達」(65年)、「集中の困難」(68年)等の戯曲を発表し、欧米諸国でも名前を知られるようになる。ここで戦後プラハの小劇場文化の牽引者であり、観客に訴えかける 「アピールの劇場」の理念を提唱したイヴァン・ヴィスコチル及び演出家のヤン・グロスマンと出会い、二人から色々な影響を受けながら自らの演劇世界を築いていく。

    1965年7月26日にヤン・グロスマンの演出により欄干劇場で初演された「通達」のあらすじは次のとおり。
    十二場からなるこの作品は、誤解をもたらすことのない、きわめて精確な人工言語プティデペがとある役所に導入されたことで翻弄される人びとの様子が描かれている。熱血漢のグロスは局長であるというのに、人工言語の導入を知らされていない。導入を秘密裏に進めていた局長代理バラーシュは、無言のクプシュとともに、グロスの包囲網を張り巡らす。かたや、極めて難解なプティデペの授業が行なわれ、翻訳センターの面々も登場するが、前者では言語の構造についての疑似学問的な解説がなされ、後者では翻訳とは無関係な日常会話ばかりが披露される。グロスはバラーシュと役職を交代し、プティデペの導入を阻止できたものの、今度はホルコルという新しい人工言語が導入さる......。

    この劇は、登場人物たちが、一生懸命言葉を発しているにもかかわらず、各人の関心事が異なるため、言葉がかみ合わず、コミュニケーション不全に陥っている不条理な状況を描いている。ハヴェルは富豪の家に生まれたが、社会主義体制になると、一家の財産は没収され、自身もブルジョア出身者として希望する大学への進学を認められなかった。自分が望んでいたものが一瞬にして手の届かないものになってしまった体験を持つハヴェルにとりベケットやイヨネスコに代表される不条理演劇は彼の世界観と共鳴するものであり、彼の演劇表現は、彼が日常的に感じていた不安定の感覚と密接に結びついていたと考えられる

    1968年までは、ハヴェルの作品は欄干劇場で上演されていた。しかし同年8月にワルシャワ条約機構軍がプラハを占領し、「正常化」の1970年代になると彼の作品は、劇場でほとんど上演されないこととなる。正常化の時代に当局から睨まれた演劇関係者は、自宅や別荘に少人数の観客を集めて作品を発表するとともに、生きていくために他の職業につかざるを得なくなる。ハヴェルもこうした「自宅劇場」を利用した一人であり、また1974年から北ボヘミアのビール工場で働くことになる。このビール工場のすぐ近くに彼は別荘を持っており、時々親しい友人たちを呼んで作品を発表した。この自宅劇場での発表のために書いたのが、1975年の「謁見」であり、そのあらすじは以下のとおり。

    作家ヴァニェクは、何らかの理由で自作の発表ができず、あるビール醸造所で肉体労働をしている。ある日、上司の醸造長に呼び出されたところから、作品は始まる。醸造長はビールを飲めないヴァニェクに対して、ビールを次々と勧めながらあれやこれやと脱線しながら、二人の会話は続く。この劇は分かり易く、二人のやり取りが非常に面白いことから、ハヴェルの戯曲の中でも人気の高い作品となっている。なおこの戯曲については、ハヴェルが朗読したレコードが北欧を経由してチェコに持ち込まれ、多くの人々がそれを聴いたとのエピソードが残されている。

    ハヴェルは、「ABC劇場」「欄干劇場」「自宅劇場」を経て、1989年に大統領となり、「政治」という劇場・舞台へ出ていくこととなる。彼はそれよりずっと前の1968年に書いた「演劇の特殊性」という文章で「今・ここ」で上演される演劇は、極めて特殊なものであり、個人個人ではなく「共同体の一員である人間の関心と問題」を扱うという点で政治性が強いと指摘していた。劇作家ハヴェルがABC劇場時代から一貫して最重要視したのは、演劇が現実の社会と繋がり、これにインパクトを与えることであったと考えられる。

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